ぬかぴーのツブヤキ
発信者:ななワンコ
2024.12.20
╞╪╡ 鐵 學 ╞╪╡ (49) 都内の幻の駅(9)
「鐵學(てつがく)」と称して、永遠に交わることのない2本のレールにまつわるお話をツブヤいています。
今回は下町から眼を転じて、池袋からの二つの路線の幻の駅のお話です。
現西武鉄道・池袋線「上り屋敷」駅
西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が池袋駅~飯能駅間を開業したのは1915(大正4)年ですが、その後1929(昭和4)年に池袋駅~椎名町駅間に上り屋敷駅が設置されました。この一帯の地名の「上り屋敷」が駅名となったようです。地図に見るように、近隣には学校が多かったことと、目白駅が近いため乗り換えで利用する乗客もあったようです。
この駅もやはり太平洋戦争末期の1945(昭和20)年に営業休止(事実上の廃止)となりました。
いまでも池袋2号踏切と同3号踏切に挟まれたスペースに、ホーム跡の盛り上がりがありますが、知らない人にはかつて駅があったとは思えない程度の痕跡しかありません。
東武東上線・「金井窪」駅
東武東上線の前身である東上鉄道が池袋駅~田面沢駅(現川越市駅と霞ケ関駅間にあった)間を開業させ、その後1931(昭和6)年に下板橋駅~大山駅間に金井窪駅が設置されました。今の場所で言うと、山手通とその上の首都高速5号線が鉄道をまたぐ池袋寄りに駅がありました。両隣の下板橋駅と大山駅との距離も短いのですが、近隣には商店街やバス通り(地図の赤線)もある繁華街だったために開設されたようです。
この駅は1945(昭和20)年4月13日の空襲により被災したため、そのまま廃止になったとされていますが、近年の調査では空襲で駅設備は被災してなく、被災による廃止理由や廃止日等についても疑問が持たれているそうです。
この駅周辺は、東上線の広い電留線になっており、駅そのものの痕跡はありません。