ぬかぴーのツブヤキ
╞╪╡ 鐵 學 ╞╪╡ (46) 都内の幻の駅(6)
「鐵學(てつがく)」と称して、永遠に交わることのない2本のレールにまつわるお話をツブヤいています。
前回まで5回にわたり京成電鉄上野線・博物館動物園駅をご紹介しましたが、今回はもう一つ別の幻の駅のお話です。
幻の駅「寛永寺坂」
いまは京成上野と日暮里の間に駅はありませんが、かつて博物館動物園駅が存在したことはご紹介しました。しかし、博物館動物園駅と日暮里駅の間にもう一つ駅が存在しました。それが寛永寺坂駅です。
日暮里駅から上野方面に向かい、JRを跨線橋で渡るとすぐに上野台地にトンネルで潜りますが、その入口近くのトンネル内に駅がありました。地図で見る通り、すぐ近くには徳川将軍家の菩提寺である寛永寺があり、上野台から根岸方面へ降りる坂を寛永寺坂と呼ぶことから駅名が付けられました。いまも言問通りにはJRを跨いで降りる寛永寺橋があります。
開業は博物館動物園駅と同じ1933(昭和8)年ですが、なぜこの場所にわざわざ地下駅を造ったのかは不明です。寛永寺や谷中墓地がありますが、当初から利用客は少なかったようです。
太平洋戦争終末期の1945(昭和20)年6月に日暮里~京成上野間は営業休止となり、終戦後の同年10月には上野までの運行が再開されましたが、寛永寺坂駅の再開は遅れ、翌年11月になりました。
しかし戦後の混乱期で車両の性能・整備状況も悪く運転上の保安の面から、そして利用客も見込めないため翌1947(昭和22)年に休止、1953(昭和28)年2月に廃止となり、開業後わずか14年の稼働に止まりました。
いま、その痕跡は?
写真は1997年に撮影したものですが、地上の駅舎を京成電鉄が倉庫会社に賃貸しており、倉庫として使用されていました。開業時の写真を見ると、大きな庇が付いていましたが、それが無くなっていたものの、よく原型を保っていたようです。
さらに当時からの国旗掲揚台が残されていました。表面には「国威宣揚」、側面には「紀元二千六百年記念」、裏面には「昭和十六年十二月八日」「東櫻木町有志建之」とあります。
しかし2016年には旧駅舎も解体され、跡地にはセブンイレブンがオープンし店舗と駐車場となり、かつての面影は無くなりました。唯一、国旗掲揚台は店舗の裏側に移され現存しています(しかし説明も何もない)。
短い地下ホームはプラットフォームはありませんが、広い空間があり駅の痕跡がうかがえます。日暮里~京成上野間を乗車する際には、博物館動物園駅とともに車窓から探してみてください。