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ぬかぴーのツブヤキ

発信者:ナナわんこ
2024.10.18

╞╪╡ 鐵 學 ╞╪╡ (40)  都内の幻の駅(1)

「鐵學(てつがく)」と称して、永遠に交わることのない2本のレールにまつわるお話をツブヤいています。
今回は廃止(休止)から27年が過ぎ、すっかり幻の駅となった京成電鉄上野線・博物館動物園駅とその周辺のお話を数回にわたりご紹介します。

悲願の私鉄都心乗り入れ

現在の東京の私鉄網がほぼ今の形に出来上がったのは戦前(太平洋戦争)のことですが、この時代には「鉄の掟」があり、山手線の円内(都心)には私鉄は入れないという東京市電(現・都営交通)の方針が堅固で、山手線内は市電網が独占していました。そのため東武鉄道が浅草駅(今のとうきょうスカイツリー駅)、京成電鉄が押上駅、京浜急行が品川駅、東横線・井の頭線が渋谷駅、小田急電鉄・京王帝都電鉄が新宿駅、(旧)西武鉄道が高田馬場駅、武蔵野鉄道(現西武鉄道)・東上鉄道(現東武東上線)が池袋駅と、それぞれターミナルを置いていましたが、今のような地下鉄直通もない行き止まり駅でした。
特に東側の東武鉄道、京成電鉄は隅田川が越せず、隅田川を越して浅草、上野に接続することが悲願となっていました。

京成電鉄は上野乗り入れのため苦労をして免許を取得し上野線を建設。1931(昭和6)年には青砥から日暮里まで開通、そして上野公園内を地下で建設し、1933(昭和8)年に悲願の上野公園駅(現京成上野)が開業、この時に博物館動物園駅も開業しました。
ちなみに日暮里~上野間は上野公園内が皇室御料地であったため、地上には建設できず、樹木の根を傷めてもいけないという難工事でした。

工事の詳細はこちら(京成電鉄ホームページ)

南北の黒い破線が京成線、赤丸が上野動物園 「東京都区分地図・台東区」1969.9(和楽路屋発行)の一部を加工
奥が東京国立博物館、手前側が東京芸大等がある交差点の博物館動物園駅入口(1996)

わずか65年で休止に、その理由は?

博物館動物園駅が開業したものの、戦中から戦後は8年間も休業しており、1997(平成9)年に休止、そして2004(平成16)年に正式に廃止となりました。正味57年くらいの稼働だったのです。
博物館動物園駅については、さまざまな紹介がありますので、そちらを参照していただき、このツブヤキでは写真とともにちょっと珍しい情報と私の思い出を語りたいと思います。(つづく)