TOP ぬかぴーのツブヤキ ╞╪╡ 鐵 學 ╞╪╡ (34) 身近にあった王子貨物線 その2

ぬかぴーのツブヤキ

発信者:ナナわんこ
2024.09.06

╞╪╡ 鐵 學 ╞╪╡ (34) 身近にあった王子貨物線 その2

「鐵學(てつがく)」と称して、永遠に交わることのない2本のレールにまつわるお話をツブヤいています。
今回は前回に引き続き東京都北区の王子界隈にあった貨物線についてです。

軍関連施設への貨物線だった須賀線

前回の北王子線は製紙工場への専用貨物線でしたが、今回の須賀(すか)線は王子の地にゆかりある渋沢栄一らが設立した大日本人造肥料(現・日産化学工業)の専用鉄道として1926(大正15)年に敷設されました。肥料工場とはいえ、肥料の原料となる硝酸などは火薬の利用を目的としていました。のちに沿線に陸軍造兵廠豊島貯弾場(のち陸軍造兵廠)が設置され途中で支線が分岐しました。1927(昭和2)年には国有化され、終点には地図にある須賀貨物駅が開業しました。

北王子線から分かれ東に延びる須賀線 「東京都区分地図・北区」1969.9(和楽路屋発行)の一部を加工(以下同じ)
北王子線との分岐部
東側から見る、右のマンション方面へ王子線が分岐

須賀線は弾薬・火薬を扱う軍施設にも入線するため、蒸気機関車では危険なので早くから電化され、小型の電気機関車(EB10型)が使われていました(当初は蓄電池式機関車)。そのため途中の北本通との交差点(王子消防署がある)は、都電27系統(赤羽~三輪橋)が横切っていたため、異なる電圧の鉄道が平面クロスするというマニアックな場所でした。

北本通には地図にあるように都電が走っていて交差点でクロスしていました
現在も同じ場所にある王子消防署
田端機関区で写したEB10型(EB101)写真がたった1枚ありました。今この機関車は府中市郷土の森公園に保存されています
陸軍施設への分岐部
奥からきて右に分岐していきます
終点の須賀貨物駅
このあたりが工場跡地
巨大な豊島5丁目団地になっています

戦後、民間工場の進出により貨物輸送量は増加しましたが、日産化学工業等の公害問題により周辺各工場が移転・撤退したため、1969(昭和44)年に須賀線は廃止となりました。

北王子線と違い、早くに廃止になり、各工場跡地は大規模団地や学校等の施設に転用され、また鉄道が敷設されていた跡地も道路として拡幅されたため、まったくその痕跡は残っていません。

戦後間もないころの空撮、左下が軍施設、墨田川が大きく蛇行している袋状のところが須賀貨物駅があった工場群(地理院地図 電子国土WEBより)
現在の地図と比較しても何も痕跡がありません(地理院地図 電子国土WEBより)