ぬかぴーのツブヤキ
╞╪╡ 鐵 學 ╞╪╡ (28) 解体場にいた保存機関車
「鐵學(てつがく)」と称して、永遠に交わることのない2本のレールにまつわるお話をツブヤいています。
今回は都内に保存されている蒸気機関車についてです。
1971年 大宮で
昭和43(1968)年10月の国鉄ダイヤ改正(よんさんとお)以降、動力近代化に拍車がかかり、蒸気機関車が次々と消えていきました。東京近郊は1969年には大宮、新小岩の機関区から蒸気機関車が消え、さらに両毛線や足尾線、八高線も無煙化され、小海線や羽越本線などと遠くまで足を延ばすようになりました。
そんな1971年のある日、高崎線で大宮駅を過ぎた大宮工場の外れ(ちょうど今の鉄道博物館あたり)にある車両の解体場に、1両の蒸気機関車がありました。数日後、大宮駅からかなり歩きたどり着いてみると、正面にゼブラマーク(黄色の斜めペイント)があるC50型蒸気機関車(C5075)でした。
C50型は両毛線・小山機関区で撮影したこともあるので、その1両かと思いましたが、入換用にゼブラに塗装された機関車は無く、最後まで美しい原型を保っていたので、他から来た車両と分かりました。
ただ、解体場にあることから、いずれは解体されると思い、寂しい気持ちで写真を撮りました。
この機関車が足立区に
ところが、その翌1972年にC5075は足立区中央公園に保存されることになり、さっそく見に行きました。
さらにその公園の場所に現・足立区役所が作られるため、1992年に再び足立区鹿浜公園に移され現在に至ります。
思えば、このC5075は1929年の落成以来、関西地区で活躍し、戦後は亀山機関区(三重県)に配属され、主に入換で使用されていました。なんのご縁で足立区に来てくれたかはわかりませんが、C50型はそれほど多く保存されていない形式なので、うれしい限りです。
先日、久しぶりに見に行くと、写真のように修復中で、錆が落とされたすごい姿でした。屋根がある場所に置かれていますが、運転室内にも入れることから荒廃がひどく、ガラスや部品も欠落した状態だったので、修復で少しでも良くなればと願っています。