ぬかぴーのツブヤキ
╞╪╡ 鐵 學 ╞╪╡ (27) 鉄道の"聖地" 作並駅
「鐵學(てつがく)」と称して、永遠に交わることのない2本のレールにまつわるお話をツブヤいています。
今回は鉄道好きにとっての“聖地”である仙山(せんざん)線作並(さくなみ)駅についてです。
仙山線の開通
JR仙山線は読んで字のごとく仙台と山形を結ぶ鉄道路線で、昭和の初めから仙台から西に、山形から東に建設をはじめ、1937(昭和12)年に中央がつながり全通しました。その接続部には宮城・山形県境を貫く仙山トンネル(5,361m)が建設されましたが、当時は蒸気機関車運転だったため、少し前に開通した上越線・清水トンネル(9,702m)と同様、長大トンネルの煙害から乗員乗客を守るため、その山寺~作並駅間だけ直流電化し、電気機関車が列車を牽引しました。
新幹線につながる技術的エポックメイキングの場所
当時の鉄道電化は直流方式であり、交流方式は車上での直流への変換や周辺に与える通信障害などの対策ができず実用化されていませんでした。しかし交流電化は大電圧・商用周波数で広域に送電でき地上設備が安価に構築できること、車両は高価ですが地方線の列車本数が少ない電化に適していることから研究が進められ、その交流電化の試験線として1954(昭和29)年に仙山線北仙台駅から作並駅までの区間が指定されました。
細かい経緯ははぶきますが、仙山線での交流電化試験は進み、そこで培った技術は北陸本線、東北本線の交流電化や1964(昭和39)年に開業した新幹線にも及び、日本の鉄道を支える大きな技術的エポックとなりました。
仙山線も1968(昭和43)年には全線が交流電化されました。
山間の小駅として
以前、作並駅を訪れたことがあります。仙台~山形を全通する列車は1時間に1本ほどで、仙台~作並間28.7kmを軽快な電車が40分ほどで結んでいます。
作並には温泉宿もあり、上下行違う電車が停車すると数人が下車しましたが、あっという間に誰もいなくなり、静かな山間の駅になりました。
構内の試験線時代の施設や建物は無くなり広々としていましたが、仙台から登ってきた蒸気機関車の方向転換のための転車台が残っています。私が訪問した時は半ば土砂で埋もれていましたが、近年JRが掘り出して姿が見られるようになりました。
仙台に折り返す電車を待つ1時間ほど、歴史的な山間の小駅で過ごしました。