ぬかぴーのツブヤキ
╞╪╡ 鐵 學 ╞╪╡ (4) 都電が渡った橋
「鐵學(てつがく)」と称して、永遠に交わることのない2本のレールにまつわるお話をツブヤいています。
その第4回目は、前回に引き続き都電が渡った橋にまつわる痕跡についてです。
船路(ふなじ)橋 その3
船路橋は1991年にバス修理工場が閉鎖されてから使われておらず、工場跡も更地になっていましたが、1997年にはまだかつての歴史をとどめるものがありました。
橋の入口から道路側にたどるとすでにレールはありませんが、そこにはアスファルトで埋めた痕跡が2条道路上に残っていました。
2020年にお茶の水橋の工事で85年前の路面電車のレールが出てきたニュースがありましたが、都電が廃止されてから工事などでレールが撤去されたりアスファルトで被覆されても、その後にレール跡が浮き出てくる現象がよくあり、銀座通りなどもかつてニュースになりました。
(お茶の水橋のレール発見の記事がやはり諸河久さんのレポートでありました)
余談ですが、ここのレールの幅(軌間)は世界的にも珍しい1,372mmという幅で、都電の前身となる「東京馬車鉄道」の軌間を引き継いでいるとされる非常に珍しいサイズです。一般的な軌間はJRや私鉄などで広く普及している1,067mmの狭軌、新幹線や一部私鉄の1,435mmという国際標準軌が主流です。
現在も1,372mmの軌間で運行しているのは都電荒川線の他に路面電車から発展した京王電鉄(井の頭線を除く)、京王電鉄と乗り入れする都営新宿線、東急世田谷線、函館市電などです。
船路橋がある場所は、第1京浜(国道15号)から折れてJRを札の辻橋で超え、「ジュリアナ東京」があったボーリング場を過ぎた右側で、その先は首都高速1号線芝浦ランプとレインボーブリッジの一般道入口につながる交通の要衝です。
ベイエリアとしてタワマンやオフィスビルが林立している地区ですが、その昔は道路上の単線を都電がのんびりと回送されて行き交い、私の知る四半世紀前でもまだ倉庫街や再開発を待つ更地が占めていた殺風景な場所で、その風景を見た者にとっては、まさに「夢物語」の感がします。