ぬかぴーのツブヤキ
残された鎮守の森のオオカミ
都内にオオカミを探しに その27
ニホンオオカミ研究家(自称)のナナわんこです。今回ご紹介するのは練馬区土支田4丁目にある土支田八幡宮の境内社「御嶽神社」にいるおいぬさまです。
土支田(どしだ)八幡宮は練馬区の北部で埼玉県和光市との県境近くにあり、都営大江戸線・光が丘駅から徒歩30分ほどの畑地や木々に囲まれた住宅地にあります。
土支田八幡宮の草創についてはよく分かっていませんが鎌倉時代の末との説明がありました。そして明治7年(1874)に土支田村内にあった八幡社、神明社、稲荷社を合祀して北野神社となり、さらに昭和22年(1947)に土支田八幡宮と改称しました。境内は広く高い木立に囲まれており、稲荷社、八雲神社、祓戸(はらいど)社と、この御嶽神社の境内社があります。
八幡宮の社殿の裏側に回ると、少し小高くなったところに一対のおいぬさまと、その奥に石を積み上げられたお山があり、階段状の石を上ると石造りの祠があります。
左側の吽(うん)のおいぬさまは比較的にきれいに残っていますが、右側の阿(あ)のおいぬさまは耳や首が傷んでおり、また修復も小石混じりのセメントのようなものでおこなわれているため、痛々しいお姿です。
ただ小さな胴に大きなお顔、そしてくるりと巻かれた太い尻尾、石の台座に踏ん張る太い前脚がとてもいいお姿です。台座には大正10年(1921)建立と刻まれており、100年前の大正モダニズム時代に造られたモダンなお姿です。
また脇には明治44年(1911)建立、下土支田講の御嶽山記念碑もありました。
八幡宮の北側には白子川が流れており、今でこそ東京と埼玉の県境になっていますが、明治になるまでは共に武蔵国であり、明治末期の地図にも起伏にとんだ丘陵に、点在する家々が畑と雑木林に囲まれています。今の境内もそのような雑木林のなかの鎮守の森といった風情が残されています。